結構読まれている まつはは黒歴史シリーズ。
子どものことを一旦置いておいて、義実家とのことを中心にお話します。義母ネタ多めです。
過去にも私がモラハラ妻だった時代をご紹介しておりますが、今回過去に私がいかに酷かったかをご紹介します。最終的に離婚危機にまで陥ったのでなかなかだと思います。
「嫌われても離婚してもいい」と考えている方でもいざ「離婚」と言われると「え!?私が言われる側??」と、かなり動揺するので思い当たる節がある場合は自分のことを見つめ直すチャンスかも。
モラハラ妻、もしくはモラハラ気味の妻は、夫が基本優しくて我慢強く、夫からの強いアプローチで結婚に至った方に多いかもしれません。
なぜならば「あなたが好きだ好きだと言うから結婚してあげた」と思いがちだから・・
夫の実家の目の前で始めた同棲時代
夫の両親は我が子を遠くに住まわせる気が無く、夫や夫の兄弟も遠くに行くつもりは無かったため、義実家の近くにはすでに購入してある空いている家や土地がありました。(ちょっと怖い)
そのため結婚当初は義実家の目と鼻の先に住んでいました。
思えばこれが良くなかった。建物が別だからまぁいっかな・・くらいに考えていたので住んじゃったんですよ。。まぁ当時大好きでしたしね。盲目だったから。(今嫌いとかではないです)義両親も嫌な人ではなかったですし。何より「あなた達のことには干渉しない」と言われていましたし。
しかし、いざ近居が始まってからの義母の干渉は予想以上にすごかった(笑)仕事に行っていても「今日は天ぷら作ったから取りに来て」「あれ用意したから食べに来て」「これ手伝って」「週末は畑手伝って」「一緒にケーキを作ろう」等々。
私に毎日義母からメールで連絡が来て日々見張られているような気分・・なぜに休みたい週末に義母と過ごさねばならんのだ・・。しかも自由自在に勝手に来るので「玄関の靴しまえ」「洗濯物の干し方が・・」なんてことも言われていました。「干渉しない」という言葉はどこへ・・??
しかし私もまだ仕事をフルでしていましたし、週末には予定を入れてしまえばそんなに気になることはありませんでした。子どもができるまでは・・・
産後からの更なる過干渉
一般的には子どもができると妻の気持ちは大きく変化することが多いです。子どもが居ると自由が無くなり睡眠もろくに取れず、あちこち痛く、ホルモンの影響でイライラして本当にしんどかった記憶。この頃の私は完全に夫のことより子どものこと。夫はお世話が必要なお荷物的な存在(ひどい)
義母かからは「預かりたい」「お世話したい」「あなたたちは出かけていいから子供は預かる」「こっちに連れて遊びに来い」「団子を買ったから取りに来い(ちなみにまつはは、団子苦手です)」などの連絡、訪問が激しく、寝ていようが授乳していようがピンポンピンポンされることも多く、義母のことはどんどん嫌いになりました(笑)これ義母あるある?自分がその立場になることがあれば気を付けねば・・・
今思えば嫁とも孫とも仲良くなりたかったのだと思います。良かれと思ってやってくれているのです。でも当時はちょっと(いや、かなり)放っておいてほしかった。
そんななか夫は私になぜか某ブランドもののオーバーオールやTシャツを購入してきたり、お菓子を買ってきたり・・なんか求めていることそれではないんですよ。当時の私にとってお門違いのご機嫌取りにイライラは募る一方で、それを見せられてもあまり嬉しくはありませんでした。
てか服とか自分で選びたいし。とか思っていた。今思い出しても可愛い服で今ならめっちゃ喜ぶのに。
あまりにしんどくなり、「この家から離れて少し遠くに住みたい」と夫に相談したことがあります。
一緒に家をでると言ってくれると思っていたのですが、悩んだ夫は「まつははと子どもだけ実家に帰ってることにして別にアパートを借りよう」と無謀な計画を提案してきました。
あの時相当がっかりしましたし、夫は結局義両親のほうが大事なのか、子育て全部一人でやれと言うのか・・と落ち込みました。
最終的には夫が義母に「あまりこっちに連絡したり来たりしないようにしてくれ」と話してくれて、ひとまず日々のピンポンピンポンは少し収まりました。
自分の中に湧き上がるどろどろした感情の嵐
その後、目の前の家を出て自分たちで家を建てて引っ越しましたが距離的には義実家から車で10分程度。以前ほどではないにせよ、まだまだ近居。いきなり義両親が訪問してくることは多々ありました。
私のなかでは「お前(夫)がここに住みたいって言うから来てやった。もっと私のこと大事にして当然だろ」の感情が膨れ上がります。
「そうじゃない なんで私がここに居ないといけないんだ」
「どうして私ばっかりこんな思いをしてなきゃいけないんだ」
「あいつの親の近くに住まなきゃいけない意味がわからん」
「私がここに住んであげてる」
「我慢してあげている」
そんな思いがどんどんと蓄積していくのを感じました。そして夫にどんどんと冷たい気持ちが募っていきました。
私が離婚を切り出されたのはずっと後ですが、振り返るとこの頃から私の被害者意識とモラハラは始まっていました。
夫は基本とても優しい人で、本人が「まつははの機嫌を取るのは俺のライフワークだから~」とよく言っていました。私が義両親に対して嫌な感情を持っているのもよく分かっていたと思います。一応こちらからも義両親にも二週間に一度、孫の顔を見せに行っていましたが、嫌で嫌でたまらない態度を取っていましたし、夫がとても気をつかっていることが分かりました。
優しい夫と日々不機嫌な妻の時代
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そのまま数年。それでも夫の両親の提案により一緒に旅行に行ったり出かけたりすることもありましたが私は明らかに義両親と過ごすときに暗い顔をしていました。貴重な時間をなぜにこの人たちと過ごさないといけないのだろうと。。今思えばもっと楽しめば良かったなぁ・・。
そんななか私もちょくちょく自分の実家に帰省するようになります。結構遠方だったため、一度帰ったら一か月近く帰らないこともありました。長いですよね。ほんとあの頃自分の家に帰りたくなかった。
義母にとって私は嫌な存在だったと思います。(私も当時義母が嫌だったのでお互い様ですが)義母は孫だけ預かりたいあまり、なんの相談もなく孫と義両親だけで旅行に行こうとして旅行会社に予約してしまい、止めたことがあります。(その後めっちゃ義母にキレられたけど、夫が義母を諭してくれた)
もう、義両親に何の思いやりも優しさも持てませんでした。考えたくないのに嫌な感情に飲み込まれて暗い気落ちになることも多々ありました。
夫は精一杯のやり方で私を義両親から守ろうとしてくれていたとは思いますが、ある日義母の子どもに対するある行動に私が本気で怒ったことがあり、さすがにそれは義母も申し訳ないと思ったようなのですが、絶対に謝ることはありませんでした。私はそのことが許せずに、それがきっかけで私と義実家との関係は益々悪化していきました。
私の義両親に対しての気持ちはさらに酷くなり、更に態度も冷ややかになりました。そしてだんだんと夫から「もうまつはは はうちの実家に来なくていいから」「孫に会わせないのはひどすぎるから、俺がちょっと連れて行って、なるべく早く帰ってくるから」と言われることが増え、私は義実家に行く機会が激減しました。(当時の私は子どもを義両親に会わせたくないと本気で思っていましたが、それはさすがに酷いと私も思ったので私だけ行かないということになりました)
遠方でしたが私の親のほうが孫に会う時間は長かったと思います・・・
でも夫はあまり何も言いませんでした。時折冷たい表情を見ることもありましたが、「義実家行かなくて良いならラッキー!」と思っていました。
夫の優しさにつけあがり、更にはもっともっと優しくしろと言わんばかりの私の気持ちがありました。
まぁそんなこんなで「あなたの親のために、あなたのしたいようにしてあげて、我慢してあげてるんだからあなたも我慢しなさいよ。何も我慢してないくせに」という感情をベースにしたモラハラまつははが徐々に誕生したわけです。
ちょっと長くなったので続きは後半にて。
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