以前、他人と我が子を比較してしまうという内容を投稿したことがあります。
ありがたいことに多くの方に読んでいただいております。
比較する問題というものは無くなることはないと思いますので、今回は前回とは少し内容を変えてみようと思います。
わが子と他人の子を比較したときの対応は大体良くないものになる
他人の子とわが子を比べて
「○○君はこういうことちゃんとしてるのに」
「○○君はもっと一生懸命やってるらしいよ」
「○○ちゃんは毎日きちんと勉強してるらしいよ」
とか比較全開の声掛け(というか説教?八つ当たり?)したことはないでしょうか。
毎度のことながら私は何度もあります。しっかりしていると言われている子達が羨ましくて仕方が無かった。しかもこういう言葉を言うとき、決して良い感情で言っているわけではないですよね。
どうしてうちの子はこうじゃないんだろう。どうして我が家はこんなにも苦しいんだろう。
周りの幸せそうなお母さん達を見ては羨ましく、みじめな気持ちになる毎日・・
ほんと、我が子以外の子達はみんなとてもきちんとしていると信じていました。
そんな私の黒歴史はこちらから
同じように子育てで悩んでいるお母さん達もいましたし、話も聞いていたはずなのに、なぜか「それでもうちが1番不幸」という思考にとらわれ続けていました。
なぜか他人の子どもの良いところってすごく見えるんですよね。我が子だと悪いところに目がいくのに。ほんと、我が子への母親の「欠点発見センサー」高精度すぎると思いません?
比較をすることを自分に許そう
以前にも書きましたが、人は比較をする生き物です。もうこれは仕方がないのです。
そりゃしますよ。中学生にもなると偏差値だ平均点だ順位だ倍率だ内申が評定がと追い立てられるように比較を突き付けられるのですから。そりゃするなって方が無理です。
しかし、母親が我が子と他人の子を比較をして「ああやっぱりダメだ。私はダメな母親だ!また比べちゃった」と思ったところで何も変わりません。そして「ダメだダメだ」と思うほどやってしまうのが人間。
ピンクの像の話を知っていますか?
「絶対にピンクの像を想像しないでください。絶対に想像してはいけませんよ」
こう言われれば言われるほど、ピンクの像を想像してしまいませんか?
脳は否定も肯定も理解ができないのです。
「比較してはダメなんだ」=「積極的に比較してしまう」ということです。だめだだめだと思ったところで何の意味もない。
私は「人との比較は不幸の始まり」である とは思っていますが、「比較することが絶対にしてはいけないことだ」とは思いません。しちゃうんだもの。
比較してはダメだダメだと思うほど、「比較」が気になって仕方がなくなるでしょう。
なので、まずは「比べてしまうことを自分に許す。許可する」ことです。
「あー比較してるわ」とその自分に気づいて、認めてあげることからスタートです。
比較をした後のあなたの行動を変えていこう。
比較をすることは仕方がないと自分に許可したうえで、大切なのが
「比較したあとのあなた自身の行動や声掛け」です。
まつはは的にここでは三つの項目に分けてみます。
理想の人の考え方や行動の真似をしてみよう
あなたの周りに「このお母さんの対応、すてきだな」「この人の考え方、好きだな」と思うような方はいらっしゃいませんか~??(お医者様はいらっしゃいませんかテンションで)
まずは「その人ならどんな声かけをするのかな」と想像してみることです。
丸々その人と同じようになる必要はありません。「いいな」と思う部分だけ真似で。
その想像の人は「○○君はもっとちゃんとやってるよ」というような言い方はするのかな??
もっと他の言い方があるかな?大人になったら解決することではないのかな?
そもそもその人は比較をしたことを子どもに伝えるのかな。
考える前に口に出してしまうこともあるかと思いますが、自分の発言を振り返ることで、次回気をつけることができやすくなります。
私はとてもとても不器用な子どもでした。
工作も裁縫も下手で、母親にも「あんたはホンマに不器用」と言われ、家庭科の授業では周りに手伝ってもらいながらなんとか仕上げるものの、その後も使いたいと思うようなものはできませんでしたし、図工でも「想像力はすごいんだけどね・・」と先生に言われていました。
でも大人になり、わが子の入園グッズ、入学グッズは指定のサイズがあったため思い切ってミシンを購入。
実家も遠かったため頼れる人もおらず、本を見ながらレッスンバッグ、体操着入れ、給食袋、文房具袋、ランチョンマットを全て作り、更にその後裁縫にハマりだし、スカートやトートバッグを自分で作り、着用していました。
そして編み物にハマった私はバッグを編み始め、身近な人に販売までしていました。
腱鞘炎になったためやめたのですが、それを見ていた母親は「あんたがそんな器用になるなんて!」と驚いていました。
大人になってかなりの「不器用」が解決していたのです。
バッグの販売まではいかずとも、いざとなったらやるしかない!というような似たような経験をされた方も多いのではないでしょうか。
わが子の日々の小さな変化に気づけるようになろう
思春期は子供が著しく成長します。
毎日は同じように思えますが、違います。
気づいたら伸びている身長、顔つき、態度、考えかた。毎日よく観察していると必ず成長しているところが少しずつ出てきます。
例えば我が家の例で言うと
以前は声を掛けないと出てこなかった使用済みの箸が声を掛けなくても出してくれるようになったとか・・ほったらかしだった書道の道具をきちんと自分で洗って次の準備をしていたとか。
そんなことです。
でもやはり成長を感じたんですよね。「ああ、自分で準備できるようになっていたんだなぁ」と。
そこで「自分で用意してるんだね。助かるわ~ありがとう」と言えるかどうかが大切だと私は思います。
「出来たときには声を掛けず、出来てないときにはイライラして声を掛ける」を逆にする。
「出来たときには声を掛けて、出来ていないときは(なるべく)声を掛けない」ことが効果的です。
出来て当たり前だと思わない精神、大切。
あなた自身があらゆる人の考え方に触れることで比較自体を減らそう
このブログを読んでくださるくらいですから、勉強熱心な方が多いのだと思います。
今はあらゆる方がSNS等で情報を発信しています。
自分が好きな考え方をされている情報に触れるもよし、本を読むもよし。あまり一人だけの考え方に触れるだけではなく、色々な情報に触れて、良いと思えるものを組み合わせて自分のオリジナルの考えをもつことで、自分軸ができて、比較することが減り、生きやすくなります。
冬の夜は長いですし、前回何冊か本をご紹介したので参考にしてみてください。
わざわざ比較をして苦しくなる場所に自ら突っ込むことをやめよう
この行動により、私のママ友と言われる存在は激減しましたが、その勇気を持てる方にはとてもオススメな方法です。
以前私はママ友付き合いを頑張っていました。ママ友のランチ、お出かけ、子どもを巻き込んでの家族ぐるみのクリスマス会等々。
そしてその場では子ども同士を遊ばせつつ、子どもの勉強、学校行事、進路、受験、自慢、そんな話が中心でした。そしてそのママ友の集いが終わると私はぐったりしていました。
特にしっかりしている子のお母さんたちを「いいな~いいな~」とみんなで称賛することが多く、私は「いいな~」係だったので(そんな係はないが)非常に疲れていました。
でもそういう場でしか得られない情報も多かったので我慢していました。
もちろんその付き合いがストレス発散になり、とても良い気分転換になる方に無理にやめろということではありません。
ただ、私にはストレスでしかなく、終わった後も心から「楽しかった」と言える状況ではなかったため、少しずつ距離を取ることを選択しました。そして自分の好きなことをする時間を増やしました。
わざわざ自分が苦しくなる状況に自分を連れて行かないと決めたのです。
分からないことは誰かしらに聞くこともできましたし、今のところ高校受験での不明点はは子ども自身が学校の先生や塾の先生に確認しています。
お子さんが小さいお母さん達にはまだ難しい部分もあるかと思いますが、中学生にもなると全く問題ありません。
おわりに
周りのお母さんたちを羨ましいともがいていた時期に、こんなことを話してくれた人が居ます。
私が泣きながら子どもに関する悩みを話しているのをじっと見た友人の言葉です。
「私はね、周りから『あの家はとても家族が仲良しで、いろんなことが上手くいってる』と思われたい人なんだよ。私も隠していることがある。みんな色々あるんだよ。」
ああ、あんなにしっかりした子どもがいるのにそんなことを思っていたのかと。その家の息子さんはとてもしっかりしていて、周りからの評判も良い子でした。
そんな家庭でも色々とあるなんて思ってもみなかった。
「隣の芝生は青く見える」状態だったことに気づかされました。
もう何年も前のことですが、素直な気持ちを話してくれたことに感謝しかありません。
みんな悩んで、もがきながら生きている。
でも、出来る限り自分が自分に納得できる、幸せだと思える人生を生きていきたいですよね。
私はそのための努力はしていきたい。
私の経験や、学んで実行していることが、少しでも誰かの助けになればとっても嬉しいです。
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